もうじき離婚?「宮崎あおい」の夫「高岡蒼甫」がTwitterで家出を示唆 - コメント[2]
宮崎あおいの夫として知られている俳優の高岡蒼甫が、Twitterでフジテレビの異様なまでの「韓流押し」を、「正直、お世話になった事も多々あるけど8は今マジで見ない。韓国のTV局かと思う事もしばしば。しーばしーば... 全文を表示
今回の一連の経緯。
この際だから始めて話します。パッチギを撮り終えた暫く後に自分は自殺を図った。その後半年間仕事を休む。
コンクリートという映画の事や友人関係、仕事関係、いろんな事で裏切られたと思い疲れ、プレッシャーとよくわからないネットからの始めての執拗な攻撃に耐えきれなくなっていき生まれて始めて精神が崩壊した。
精神病院に通い睡眠薬、精神安定剤の服用から顔もパンパンに膨れ上がりそのまま復帰作の撮影に挑んだ。
いつの日か鏡も見る事もなくなり格好つける事もなくなった自分はこの仕事についていつどうなってもいいという心が抜けてる期間が続いた。
暫くするとパッチギのキャンペーンで行った韓国の取材での発言により事実とは異なる掲載文により日本に帰ってきてからマスコミ、ネットから反日思想のレッテルを貼られる事になる。
マスコミ嫌いも自分の中に根付くきっかけとなった。
暫くして彼女とのことが公になり反日からの流れで再度叩かれ否定をしても執拗に書き立てられた。
本当の事が理解されないもどかしさから鬱状態も再発。
暫くして自分をよく理解してくれていた彼女と結婚する事になるがそれ以前から続くバッシングで完全にマスコミ嫌いになっていた。
そういった経緯から、当然結婚式も見せるつもりはなかった。
そうした事で幸せな結婚式の思い出もまたありもしない暴力団だらけの結婚式などと書かれ新たなレッテルを貼られるようになった。
日常生活も更に思考停止状態で思う様に人付き合いも出来なくなり、いつしか自分を磨く事も完全停止し酒を飲んでは記憶をなくし溺れる生活になっていった。
いつ仕事を辞めてもよかった。
本当に生きた心地がせず毎日に疲れ果てていた日々。
マスコミなど全員くたばれと心底思っていた。
そんな状況がずっと何年も続き、病気も完治しないまま現場が入り、そのたびに緊張で身体が震えていた自分が、野球ドラマと出会ってずっと毎日を過ごす仲間と出会い忙しさからかすっかり病気の事も忘れ考えなくなっていた。
調子に乗り妻も仕事でいない事をいい事に毎晩のように飲み歩いていた。
そしたらパシャりと。自分の不注意でまたマスコミに騒ぎ立てられる生活に戻った。
次の難敵はパニック障害。人前に出る度息苦しくなりどもりが出て脂汗が止まらない。本番、ヨーイの声で身体が固まりガチガチに固まった顔からは脂汗が止まらない。人の目が怖くなりどこにいっても苦しさとの戦いだった。
舞台でも毎回大量の緊張の汗と人前に出る苦しさで精神が崩壊しそうで何度も死にたい気持ちに駆られたが同じ過ちを繰り返してはいけないと思い何度も必死で踏ん張った。
そんな生活が辛く、気づいたらまた安定剤を飲む生活になっていき身体もいよいよ限界に達していた。
仕事の休みを長期でもらい本当にこのままだと終わりだと、妻にも会社にも無理を言って海外に逃げた。
海外に行く前の映画の舞台挨拶でこの仕事で暫く仕事を休むのだから安定剤を飲まずに立ってみようと思い舞台上に立ったら案の定息苦しくなって汗が止まらず目の前が見えなくなり舞台下に倒れた。
無数のフラッシュを浴び観客の視線が怖くなり気づいたら自分の目の前に最前列の人の足があった。
またもマスコミに今度はクスリのフラッシュバックではないかと疑いをかけられた。
海外から帰ってきても体調は相変わらず寧ろ悪化していてカットがかかるたびに吐いていた。
もう無理だ。
この仕事は決まっている次の仕事で最後にしようと思った。
これでダメなら本当にもう辞めようと思っていた。
それが三島由紀夫の金閣寺という舞台だった。
自分に与えられた役は不治の障害を持っているがこれから先もこの身体でやっていくしかない。この代わりのない事実とどう共存していくのかという。前向きな役。
その役と自分がリンクし始めた。
最初はやっぱりキツかった。
けれど地方を周ってる最中にどこかふっと抜けた瞬間があり気づいたら安定剤の存在も忘れるくらいしっかり立ってる自分がいた。
自分の過ごしてきた時間、バッシングを受けた時間も変わり様のない事実。
ここからどう生きていくかは自分次第。
と何年かぶりに前向きになれた。
そうだ自分は下手くそなりではあったが自信に満ち溢れて演っていたと6年前の自分を思い出せていた。
これでもう大丈夫。芝居が楽しい。
その矢先の3.11
急に自分がスコーンと抜けた瞬間に日本国民が絶望のメンタルに突き落とされた瞬間。
多くの人が犠牲になり、経済もめちゃくちゃになり、放射能の恐怖から子供達の危険まで脅かされるようになった。
その衝撃な出来事があって、勿論とてつもないショックを受けたのは事実なのだが以外にも自分はまだまだこれからだという気持ちでとても前を向けていた。せっかく生きれたんだからこれからどうにでもなると。
最近じゃ考えれないほど自分でいうのもなんだが逞しくなっていた。
今度は自分の番だときっと病気の間もとてつもない人達に支えられていた。
今度は自分が前向きにさせる番だと。
表向きは華やかな世界にいながら、可愛い奥さんをもらいながらもどん底の気持ちで6年半を過ごしてきた。
けど今こうしてしっかり前を向けている。
止まない雨はなく、明けない夜はないと元気ずけたかった。
きっと大丈夫。ネガティブに思おうと思ったらいくらでも落ち込める。
けれどその気持ちも自分自信が決めれる事。
きっと大丈夫。と思ってた。
自分も経験した事。
形は違えど気持ちの上げ方なら自分にもわかるし、協力も出来る。
だけど報道も最初だけだった。
しかも偽善的な。
放射能の事から目を背けさせたり、都合の悪い事は報道規制をかける。
結局この人達のやってる事は相変わらずだった。
国民に伝わらない情報が多すぎたり、的外れな外国のドラマ、朝のニュースでは偏った報道。
この国を心底疑った。
その流れでの今回の発言。
いい加減我慢が出来ないところまできていた。
溜まっていたものがどんどん噴出した。
またしても金閣寺の公演中の事だった。
あの時の事を色々思い出した。
勇気をもってこの国を立て直す事。
希望の光を見つけてもらう事。
表の人間は嘘を教える事じゃない。
自分から発信できるならしようと思った。
この国の一大事な時にどさくさ紛れに、欺いて偏りをみせてる今の体制がすごく気持ちが悪いと思った。
誤解を与えてしまった皆さんには申し訳ないと思いますがどうか今回の事はご理解していただけたら嬉しいです。
決して自分は韓国に対する批判はしてはいない。
日本を引っ張っていってる人間たちに対する抗議の意味だと理解をして欲しいです。
このままじゃこの国はダメになる。
長々と見ていただきありがとうございました。
これが今回の事の発端です。
要約したのでお聞き苦しい点はすみません。
今回の事でもわかるようにマスコミは捏造を繰り返しています。都合のいいようにしか書きません。
自分には光が見えている。共に生きていきましょう。
日本人の誇りにかけて。きっとまだ間に合う。けれど時間はない。
http://blog.livedoor.jp/tkok_sosk_8228/archives/52293253.html